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本校の沿革

本校は、1952年に<桐朋女子高等学校>に男女共学の音楽科が併設された時からその歴史が始まりました。
校名に「女子」とついているにも関わらず男子が在籍しているのは、その歴史からご説明するのが一番わかりやすいかと思います。

音楽科-最初の入学式(1952年4月8日)

 学校法人桐朋学園は現在、男子部門、女子部門、音楽部門の3つの学校群から成る学校法人です。軍人・軍属の子女の教育を目的に山下亀三郎氏が資金を投じて設立した山水中学校と山水高等女学校をその母体としています。戦後、山水中学校は桐朋学園男子部門として、山水高等女学校は桐朋学園女子部門として、それぞれ新しいスタートを切りました。そこに、1952年(昭和27年)4月、桐朋女子高等学校に男女共学の音楽科が開設され、桐朋学園音楽部門の歴史が始まります。
 そもそも桐朋学園音楽部門は、1948年(昭和23年)10月に吉田秀和・井口基成・斎藤秀雄・伊藤武雄・柴田南雄らが中心となり、市ヶ谷・東京家政学院内に開設された「子供のための音楽教室」を礎とします。音楽教室の創始者たちは、子供たちの限りない才能を大切にし、それを育み、未来を創り出すことに努めてきました。この音楽教室で学んだ生徒たちは斎藤や井口の予想した以上の成果をあげ、「かなりの段階にまでに進んできたこの生徒たちをここで野放しにすることはできない。音楽教室の精神に則した高校をつくりたい」という創始者たちの熱意と、桐朋学園の理解により生まれたのが、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)です。

子供の中にある無限の可能性を引き出すことにこそ、教育の未来があるという思想から音楽部門の教育は始まり、その精神は現在に至るまで受け継がれています。

桐朋学園音楽部門の歴史の詳細は、音楽部門のホームページをご覧ください。

桐朋学園音楽部門の歴史

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